できないKJ

言語聴覚士(療育)

知的障害と孤独

 

伝説のゴールキーパー(回想)

私は幼いころからあまり活発な方ではなく、外で走り回って遊ぶより家の中で静かに遊ぶことを好んだ。

 

幼馴染や近所の子たち(年齢層は幅広い)は、そんな私を外に引っ張り出そうと言葉巧みに誘い出してくれた。

近所のA「みんなでサッカーするから来てよ」

私「いや、僕はいいや…」

近所のB「KJは伝説のゴールキーパーだから、来ないと試合はじまらないよ」

私「そうなの?」としぶしぶ参加していく。

 

試合中も事ある毎に『伝説のゴールキーパー』とささやかれた。

 

誰でもとれるコロコロ玉をとれば「流石!伝説のゴールキーパー!」

これまた誰でもとれる簡単なボールをこぼしても「KJで無理なら誰もとれないからしかたがない!」

 

そうして、私も悪い気はしないまま試合を終えて家に帰るのだった。自分はほとんどボールをとれていないことに気付いたのはずっと後になってからのことである。時を同じくして自分が伝説ではないことにも気付いた次第。

今思えば、非常に優しいコミュニティだったのかもしれない。立っているだけで、一緒に参加できる遊び、それでいて人数がいた方が楽しい遊びに戦力外の子も混ぜてくれる。しかも、気持ちよくいられるように配慮しながら(^_^)。

 

 

知的障害の抱える寂しさ

対人関係に積極性を持ちながらも、知的発達がゆっくりな子(ダウン症などに多い)がいる。そのような子たちは、周りの子たちが成長して遊びが高度になるにつれて、輪の中に入れなくなることがある。その遊びの意味やルールが理解できないのだ。周りの友だちが楽しく盛り上がる中、自分だけが取り残される寂しさ。

 インクルーシブ教育を唱えるなら、たとえ休み時間の遊びのことであっても、こども同士のコミュニティにその解決をゆだねるのは無責任じゃないかな。夢中になる遊びの中に障害を持った子が楽しむための配慮を盛り込むのは、とても高度な知的作業で児童に任せるには荷が重いでしょ(;´Д`)。遊びに介入して誘導していく教育者・指導者がいないと難しい。
※インクルーシブ教育…国籍や人種、言語、性差、経済状況、宗教、障害の有無にかかわらず、すべての子どもが共に学び合う教育のこと。

 

伝説のゴールキーパー…種明かし

さて、私の幼いころの話に戻ると、サッカーに誘ってくれた近所の子たちの中には中・高生のお兄さんが数名いて…というより、そのお兄さんたちが近所の子たちの面倒を見てくれていたというのが実態である( ;∀;)。自分たちが少し我慢しても、小さい子たちに楽しんでもらうという年長者の落ち着きと気配りが成せる技だったということ。